材料開発期間を短縮するマテリアルズインフォマティクス(MI)とは?

アナリティクス

2020年07月03日(金)掲載

MIの火付け役はオバマのマテリアル・ゲノム・イニシアチブ

2011年、当時のオバマ米大統領が旗振り役としてスタートした国家プロジェクトが「マテリアル・ゲノム・イニシアチブ(MGI)」である。これは、膨大なDNAデータをコンピュータ解析し、生命科学に革新をもたらしたヒトゲノム計画になぞらえた材料革新プロジェクトである。

材料開発において、長年世界のトップランナーであった日本は、この時のオバマ演説に度肝を抜かれたであろう。なぜなら、材料分野で優位に立つ日本を強烈に意識した国家プロジェクトであったからである。

元々、材料開発というのは、アカデミックな裏付けが重要であることは論を待たないが、経験と勘がものをいう領域でもある。そこに、米国が、先進のIT技術を駆使して乗り出してきたことにより、マテリアルズ・インフォマティクス(以下、MI)時代が始まった。

MIとは、実験をはじめとした蓄積されたデータベースに基づいて、AIや最新の高速計算・シミュレーションを活用することで、膨大な情報を統合・整理し、新材料や代替材料などを効率的に探索する材料情報学的手法のことである。

材料データベースには、材料合成・評価・解析等に関するあらゆるデータが蓄積されており、一方、計算科学は、材料設計や特性予測など演繹的な方法として使われてきた。MIは、こうした材料科学とデータ科学の融合を目指すものであり、MIの最終目標は、材料開発プロセスの効率化を図ることによって、経験と勘が支配してきた材料開発の世界を一新することである。

日本におけるMIの夜明け

日本におけるMIの始まりは、科学技術振興機構(JST)が実施するイノベーションハブ構築支援事業に、物質・材料研究機構(NIMS)が拠点実施機関として提案した「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ(MI2I)」がスタートした2015年7月に遡る。

MI2Iは、従来の物質・材料科学とデータ科学とを融合させた、新しい材料開発手法である。膨大なデータベースの蓄積と、機械学習など最先端の情報科学を駆使した解析手法を組み合わせ、新規物質・材料を探査することを目指してきた。

具体的には、材料データベースの利便性を高め、MI研究に必要なツール群を開発・整備して、材料研究のためのデータプラットフォームを構築するとともに、磁性材料や電池材料など、日本が世界的にリードしている分野に注目して、MIのようなアプローチの有効性を実証してきた。

なお、このプロジェクトは、2020年3月に成功裏に終了し、今後は、MI2Iで構築されたネットワークを活かして、日本中の様々な拠点での活動が、開始・展開される予定である。

将来的には、計測技術やプロセスのインフォマティクス化も含め、AI手法を取り込みながら、情報統合型物質・材料開発のさらなる発展と普及に向けて取組が進められていく予定とのことだ。(参考:MI2Iホームページより)

リチウムイオン電池開発へのMI適用事例

MIが実際どのように役立つのか、リチウムイオン電池を例にして事例を紹介する。環境・エネルギー問題はもとより、空の移動革命を推進するために、より高性能で安全な蓄電池材料の開発は喫緊の課題となっている。
例えば、新型コロナウイルスの影響もあり、今後、航空機は利便性に優れた電動化が推進されるだろう。また、ドローンは、三次元空間を利用した荷物の配達や、人を乗せるエアタクシーの時代を迎えることになると考えられる。その際、材料面で解決しなければならない課題は、高性能蓄電池の開発である。現状のリチウムイオン電池(以下、LIB)では、十分な航続距離が得られないためである。

もちろん、高性能蓄電池の開発は進められているものの、十分な成果が得られていない。旧来の材料開発のやり方では、蓄電池の候補とされる材料の種類は、組成や構造のバリエーションが非常に多く、最適な材料の発見には膨大な時間が必要となる。

例えば、LIBの材料候補について、約20万件近い無機材料の結晶構造データが登録されているICSD(Inorganic Crystal Structure Database)から、候補となるリチウムを含む材料を取り出すと、約5000種類以上にのぼる。仮に、そこから1件ずつ蓄電池に係る物性値を調べていくことは、気の遠くなるような作業となるため、現実的にはそのようなやり方は採用できないだろう。

さらに、LIBに求められる基本的特性として、容量、電圧、高速充放電特性のような基本的なパラメータがあり、ほかにも安全性に係る熱力学的パラメータなどがある。これら性質の異なるパラメータを含んだ計算は、負荷が非常に高く簡単には進まない。

そこで、より合理的な材料開発を進めるためのツールとしてMIが登場することになる。具体的には、多数の母集団から抜取でサンプルを取り出し、第一原理計算などによって物性を計算した結果に基づきディープラーニングによって母集団の物性値を求める数式を作る。その際、ハイスループット計算を導入する、或いはベイズ最適化を用いることで、効率的な計算にたどり着く。

こうして、無数の候補の中から、あらかじめ有望そうな材料を抽出することで、研究開発の効率を格段に向上させると共に、経験では導き出せないような意外な材料組成がピックアップされる可能性もある。

低迷している米国のMI

世界中のMIブームのきっかけを作った米国では、MGIをきっかけに、従来の計算科学に加え、データ科学やAIを組み合わせた新しい材料開発の時代が幕を開けた。そして、材料分野におけるデータマイニングのためのツール設計開発や、高分子データベース整備などに取り組む大学間コンソーシアム「Center of Hierarchical Materials Design(CHiMad)」にMGI予算が多く投入されてきた。

しかし、その後、大統領が代わってから、米国ではMGIの名称を冠したプロジェクトは姿を消した。幸い、同様の趣旨による予算化は継続しており、MIに注力する姿勢は堅持されているものの、かつての熱意は冷めてしまったようだ。

しかも、米国では、MIが得意とするデータ駆動型研究より、むしろ、従来の原理駆動型の取組みに重点が置かれているようにも思う。
そうした現状を打破すべく、米国では、比較的順調にMIが普及しつつある日本との連携を強く求めており、日米科学技術協定の議題として提案されている。

MIの示す未来の期待と不安

将棋や囲碁などにおいてAIの活躍が目覚ましい。これは、優れた思考ロジックと計算の速さに起因するもので、人間が及ばない膨大な可能性を瞬間的に抽出し、その中から常に最善手を選び出すAIは、勝負の世界では無敵である。

同様に、AIのロジックと計算力を活かせば、材料開発分野においても、AIは人間を凌駕する能力を発揮する。AIの助けを借りて、従来にないスピードで新たな発見に導くMIが、材料開発の主要な潮流となるのは時間の問題であろう。

それでも、解決すべき課題は少なくない。まず、できるだけ使い勝手のよいデータベース構築が欠かせない。そのために、フォーマットの標準化やルール作りが必要であり、その場合、社内データを秘匿しておきたい民間企業が、自社のデータをどの程度までオープンにできるかが鍵となる。

もう一つの課題は、AI活用に常に付きまとう問題であるが、AIが結論を導き出すプロセスがブラックボックスである点にある。つまり、材料の機能発現の背後に存在する鍵となるメカニズムが、人間には理解できないまま、AIの出す結果だけが人間に示されることになる。AIが人間にとって便利なツールであることは間違いないが、経験を積み重ねるごとに賢くなるAIに対して、人間はリーズナブルな結果を手軽に得られる一方で、人間の発想力や感性は退化していく可能性がある。

MIの取り組みは、まだ緒に就いたばかりであり、様々な問題を内包しながらも、MIは着実に進展していくことになろう。材料科学は、医薬・創薬、環境、宇宙・天文、エネルギーなど、幅広い科学分野のまさに基盤をなすものであり、その開発力は産業全般の競争力に大きく関わってくる。その材料科学の発展の鍵は、まさに、MIの賢い活用にかかっているといっても過言ではないと私は考えている。

執筆者N.N氏

資源・素材業界の大手企業を数社経験。超微粒マイクロドリルの開発や高熱伝導基板の開発、バインダーレス超硬合金の開発に各々従事した経験が有り。その後独立し、フリーランスとして活動。素材、ナノテクノロジー、量子コンピュータ、AIなどあらゆる産業分野においてコンサルティングを行う。

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