【米国政策の波に立ち向かう】プロ人材が解説する令和の経済安保と地政学リスクを乗り越えるヒント
2025年06月25日(水)掲載
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近年、私たちの事業を取り巻く世界情勢は、かつてないスピードと複雑さで変動しています。ロシア・ウクライナ情勢に端を発する地政学リスクの高まり、地球規模での気候変動とその対策としての脱炭素化の加速など、企業経営に影響を与える要因は多岐にわたります。製造業やSCMを担う企業にとって、これらの変動がサプライチェーンの安定性や調達コスト、販売戦略など、さまざまな側面に影響を及ぼしているでしょう。 その一方で、これらの変動に対応する必要があるものの、どう動き出せばよいかわからない企業も少なくないのではないでしょうか。
この難局を乗り越えるには、どのような考え方が必要なのでしょうか。経済安全保障事情に豊富な知見をお持ちで、「HiPro Biz」にもプロ人材登録をいただいている新開 健治氏にお話を伺います。さまざまな地政学リスクに関するテーマの中でも、今回は同氏が考える米国保護政策をはじめとした対米リスクを中心に解説いただきました。
■保護主義の波において、「利益」への影響をどう見極めるか
■企業が直面する経済安全保障上の多岐にわたる課題
■ビルド・アメリカ、バイ・アメリカ法の影響と米国ビジネスを阻む壁
■地政学のリスクを乗り越えるための、考え方の3つのポイント
■世界情勢に翻弄されないために、自社に必要な「大きな戦略」
保護主義の波において、「利益」への影響をどう見極めるか

まず、昨今の世界情勢において注目したいのは、各国で顕著になっている「保護主義」の台頭です。自国の産業保護や経済安全保障を目的とした動きは、貿易の制限、関税の引き上げといった形で現れています。その代表例として挙げられるのが、米国の保護主義です。たとえば、自国の利益を守るための制裁措置を講じることができる米国通商法301条の拡大解釈によって国内産業を優先する政策は、米国から調達を行う企業にとって、無視できない大きな変化をもたらしているでしょう。
ロシア・ウクライナ情勢によるエネルギー価格の高騰、気候変動対策による原材料コストや物流コストの変動など、さまざまな要因が不確実性を高める中で、企業経営において最も根源的に問われるものの代表格は、「これらの変動要因が、最終的に企業の『利益』にどのような影響を与えるのか?」という課題です。以下のように、売上からコストを差し引いたものが利益であるという基本的な方程式は変わりません。
売上―コスト=利益
しかし、昨今の世界経済事情は、この売上とコストの双方に複雑な影響を与え、そのバランスを大きく変化させています。また、売上やコストへの影響は各国の事情によっても大きく異なります。 ここで対米およびその他エリア間で考えられるリスクについて少し整理してみましょう。
米国で考えられるリスク
たとえば、成長市場である米国への進出は、大きな売上増加の可能性を秘めていますが、同時に「メイド・イン・USA」のような政策に対応するための現地生産や部材調達が必要となり、製造コストや人件費といったコストも大幅に上昇する場合も考えられます。
その他のエリアでも考えられるリスク
たとえば、アジアなどへの進出は、コスト削減による利益率向上に貢献する可能性がありますが、一方で、「付加価値の流出」や「国内生産の空洞化」、「第三国への技術や情報の漏洩」など、米国とは異なる種類のリスクを十分に考慮する必要があります。
このように、世界情勢の変動は、単純なコスト増減や売上機会の増減だけでなく、それぞれの選択肢が持つリスクとリターンのバランスを大きく変えています。したがって、闇雲にリスク対応策を講じるのではなく、自社の事業特性や経営資源、戦略的方向性などを踏まえ、「さまざまな変動要因の中で、何が自社の利益に最も大きな影響を与えるのか?」を冷静に見極めることが、経済安全保障の観点からも自社の利益を守るために重要です。
企業が直面する経済安全保障上の多岐にわたる課題
では具体的に、グローバル化が進む現代において企業はどのような課題に直面しているのでしょうか。主な課題を以下に5つご紹介します。
(1)長引く国際間紛争による物流の非効率化とコスト増
たとえば、アジアと欧州を結ぶ貨物船がスエズ運河を回避し、アフリカ大陸の喜望峰を経由する航路を選択せざるを得なくなることで、輸送期間が長期化し、物流コストが上がると考えられます。企業はこうした状況下で、どのようにしてサプライチェーンの分断を強靭なものにしていくかが共通の課題となっています。(2)米中貿易摩擦などの通商問題からもたらされる政策
米国通商法301条の拡大解釈から見られるような、国内産業を優先する政策は、特定の国からの調達や販売に大きな影響を与えます。中国によるレアアース輸出規制のように、戦略物資の供給が政策によって左右されるリスクも顕在化しています。これは、昨今の世界情勢の変動や各国の保護主義が非常に顕著になってきていることの表れといえるでしょう。(3)人権デューデリジェンス、環境保全などからもたらされる指令や法令
CSDDD(企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令)やCSRD(企業サステナビリティ報告指令)といった欧州連合の新たな規制に代表されるように、企業は自社だけでなくサプライチェーン全体における人権や環境への配慮を求められ、新たなコストや管理体制の構築が必要となっています。(4)日本の持つ高度な製造技術やノウハウの流出
競争力を維持する上で極めて重要なのが、このノウハウ流出の回避です。技術や情報の漏洩は、企業の優位性を損ない、経済安全保障上のリスクに直結します。これにより、収益の悪化や中長期的な成長機会の喪失につながる恐れがあるでしょう。(5)サイバーセキュリティ上のリスク
湾岸クレーンに通信機器が組み込まれていたとされる事例では、荷物の積み下ろし状況や港の稼働状況が外部に漏洩する恐れがあると指摘され問題となりました。重要なインフラやサプライチェーンの脆弱性を突かれるリスクは現実のものとなっており、企業は常に最新の脅威に対応していく必要があります。ビルド・アメリカ、バイ・アメリカ法の影響と米国ビジネスを阻む壁
これらに加えて無視できないのが、かつて日本の製造業がグローバル化の波に乗って積極的に進出してきた巨大市場、米国における政策転換ではないでしょうか。 同国において、近年特に注目度が高まっているのが、「ビルド・アメリカ、バイ・アメリカ法(Build America, Buy America Act, BABA法)に関する一連の政策です。これは、調達において一定割合以上の米国製部品を使用したり、米国で製造された製品を優先的に購入することを義務付けたりするもの。2025年6月現在、こうした保護主義的な動きは、(1)国別、(2)品目別、(3)全世界対象のいわゆる「トランプ関税」によって、さらに強化されつつあります。
これらの米国保護主義政策に対応するため、米国市場への依存度が高い企業や、米国政府との取引がある企業は、「米国における現地戦略の在り方」や「対米サプライチェーンの見直し」を加速させざるを得ない状況に直面しています。
かつては、コスト競争力の追求、人件費の安い地域や効率的な大規模生産が可能な地域への生産移管などが、「自由貿易」下でのグローバル化の主要スタイルでした。しかし、現在の米国における現地生産や現地調達の加速によって、企業はコスト面だけではなく、事業そのものの持続可能性、サステナビリティという視点を重視しなければならなくなってきています。米国のルールに従って進出した場合に、現地で自社が優位性を持って事業の継続性や持続性を保つことができるのかどうかが分からず、非常に悩ましく感じる企業も多いでしょう。サイバーセキュリティ、物流コストの上昇など、さまざまな要因が絡み合い、何が最適解なのか誰も特定できない暗中模索の状況であるといえます。
さらに、こうした米国現地シフトは、グローバル視点の経済安保の課題に加え、日々刻々と変わる「トランプ政策」が加わり、企業が直面している状況を一層複雑なものとしています。
地政学のリスクを乗り越えるための、考え方の3つのポイント
では、このような状況に対し、対米ビジネスを展開する企業はどのような視点で対策していく必要があるのでしょうか。
まずは米国市場でのビジネスを展開している企業が利益を算出するための方程式を、以下の図で整理しておきます。先述したように、売上からコストを差し引いたものが利益であるという基本的な方程式は変わりませんが、これらを取り囲む変動要因は多岐にわたります。

考え方のポイント1:自社が置かれている状況を冷静に分析する
天国(オプティミスティック・ビュー)シナリオと地獄(ペシミスティック・ビュー)シナリオのように、楽観的な状況と悲観的な状況を想定した検討を行います。その前提に、さまざまな仮定や条件を掛け合わせていきます。
たとえば、ある会社が海外(米国)市場との関わり方について検討する場合、
- 日本国内で調達や生産を行い、海外(米国)に輸出のみを行った場合
- 海外(米国)での現地調達を加速した場合
- 海外(米国)での生産拠点の組み換えに対応した場合
- 海外(米国)に生産子会社を設立して対応した場合
- 海外(米国)に販売やサービスの子会社を設立した場合
といったさまざまなケースについて検討してみます。それぞれのシナリオにおけるリスクと機会、そして自社にとってのポジティブな要素を見つけ出すことは容易ではありませんが、多角的に分析を重ねて検討を進めることは非常に重要です。
しかし、あらゆる可能性を検討し、分析に時間をかけるだけでは、政策ドリブンな状況に翻弄されてしまいかねません。そこで、改めて立ち止まって考えておきたいのは、次の2つのポイントです。
考え方のポイント2:「選択と集中や分散」を再検討する
経済安全保障の観点からは、単一の市場や特定の国への依存度を下げるための「リスク分散」と、自社の強みを最大限に活かすための「選択と集中」という二律背反する戦略を、どのようにバランスさせるかが問われます。
米国市場は重要であるため、そこでの「選択と集中」は必要かもしれませんが、同時にリスク回避のための「分散」も不可欠です。経営資源に限りがある中で、このバランスの判断は欠かせません。体力のある企業と、小さい財務体質の企業では、リスクを取れる範囲や分散の考え方も異なってくるでしょう。 ある大手半導体企業のように、リスク分散のために海外に拠点を設ける一方で、特定の分野には集中的な投資を行うといった、分散と集中を組み合わせた戦略も存在します。体力のある大手企業にとっては、こうした戦略は一つの考え方として参考になるでしょう。一方、中小企業の場合は安易に同様の一点突破的な戦略をとる際には、失敗した場合のリスクも考慮が必要です。全ての企業が360度全方位の対応をできるわけではないため、自社の規模や経営資源に合ったバランスを見極めることが重要です。
考え方のポイント3:「自社の優位性」を見極め直す
孫子の言葉である「算(さん)多きは勝ち、算(さん)少なきは勝たず」という視点も、経済安全保障と自社ビジネスを考える上で欠かせません。この言葉は「算」、すなわち勝つための条件をどれだけ多く見積もり、準備できるかが勝敗を分ける、という意味が込められています。ここでは、現代のビジネスにおける「条件」を「優位性」と解釈することができるのではないでしょうか。
優位性の分析には、経営資源を活用した戦略である「リソース・ベースド・ビュー」や、価値の連鎖を意味する「バリューチェーン」を組み合わせることは一つのヒントになるかもしれません。企業の優位性を整理できるVRIO分析などを用いて自社の強みと弱み、そして外部環境の脅威と機会を冷静に分析し続けることも有効でしょう。導き出せた自社の「優位性」が米国にも模倣できないものであるのなら、それは大きな武器といえるのではないでしょうか。 この分析を通じて、自社の「核」となる強みを見つけ出すことが、政策に振り回されがちな状況から脱却し、ビジネス本来の利益を追求するための出発点となります。
世界情勢に翻弄されないために、自社に必要な「大きな戦略」
自社の本質的な強み(Competence Advantage)を見失わず、長期的な視点で「選択と集中」と「リスク分散」のバランスを取りながら、しなやかで強靭なサプライチェーンと事業構造を再構築していくことが、これからの時代を生き抜く鍵となるのはないでしょうか。
こうした優位性を見つめ直すためには、企業内部の視点だけでなく、社外取締役や外部の専門家による客観的な視点を取り入れることも有効です。特に、企業のコーポレートガバナンスやコンプライアンスに精通した第三者的な立場からのアドバイスは、自社の強みや理想の姿を問い直すきっかけとなるでしょう。
日々目まぐるしく変化する世界情勢と政策に右往左往し「木を見て森を見ず」の状況に陥ってしまわぬよう、まずは自社らしい「大きな戦略(森)」を考えるため、第三者からのアドバイスや、先述の他国企業の戦略などからもアイデアや事例を参考に視座を広げることも突破口となり得ます。
<今回お話を伺ったプロ人材>
新開 健治氏
Global Sourcing Academy 代表。調達や購買の領域に長年身を置き、調達業務のグローバル化、取引先再編再建、会社清算と売却など実務担当者から最終意思決定のさまざまな立場で従事。主な略歴として、ソニー株式会社(現 ソニーグループ)にて資材部長及びサプライチェーン本部長(米国)、外資系大手オートモティブTier 1グループ会社にて購買本部長 兼 常務執行役員、建設機械企業にてチーフプロキュアメントオフィサー(CPO)、資材本部顧問など。現在は、重工業企業(売上約3500億円)顧問、コンサルティング会社(売上約600億円)顧問、産業機械企業(売上約3000億円)顧問(2025年8月より)を担う。